その後 長きに渡り 自分の師となる ウンガロは
1933年 イタリア人の両親のもと 南仏に生まれる
彼が 23歳の時 パリに
(僕は 22歳で 雇われたが 同じ様な 気持ちだったのか)
翌年から バレンシアガのアシスタントとして従事
BALENCIAGA氏
今の 洋服の基礎 全てのパターン技術を
作った職人
仮縫い
UNGARO氏 chez BALENCIAGA 右腕として
1965年 32歳で独立 職人気質の人間で
スタジオで 朝からクラッシック音楽やオペラを
聴きながら 静かに淡々と仕事をする紳士だ
時には オペラをイタリア語で歌い出し
"RYUZO 今 亡くなった" とか 内容を説明してくれたり
オペラのチケットを貰い
翌朝 "どうだった 真っ赤な ROBEを着た女性は 居たか
オペラ座では真っ赤なROBEが 一番映える" と
スタジオでの仕事は 毎日が 仮縫い
その為に 専属モデルが 3人 いるのだ
今の時代 ありえないのだ
スタジオによく アヌ-ク・エメやソフィー・マルソ-
マリサ・ベレンソン クリスティ-ヌ・オ-バン
などの 華やかな面々が遊びに来る
社交場でもあった
アヌ-ク・エメ
マリサ・ベレンソン
クリスティ
絵を描くだけのデザイナーが多い中
クチュリエと呼ぶにふさわしい職人だ
仮縫い 本縫いが 出来たクチュリエは
独学のシャネル バレンシアガ だけだった
ある時 UNGARO氏が
" RYUZO 人生は 一本の糸だ
糸に ところどころ点がある
その点の時 私達は コレクションを 見せる
翌日は また 変わらず 創作 製作活動だ" と
素敵な言葉だ
これだけで UNGARO氏に ついて良かったと
思う
続く・・・
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