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  • 執筆者の写真RYUZO NAKATA

RYUZO NAKATA HISTOIRE-7

フランスとファッションの 結びつきは

17世紀 ルイ14世の統治時代

風紀を保つ 産業の保護などを目的としていたが

最大の目的は 階級の区別を維持すること


現在でも フランスでは オ-トクチュールは

法的に保護された名称であり

一定の品質基準を保証している


シャンパンを シャンパ-ニュ地方の生産品しか

呼称出来ないのと同じく

フランスの階級の確立は 国の根源なのである


ファッションの歴史へ戻すと 1966年

イブサンロ-ランはプレタポルテブランドを立ち上げ 確立されたオ-トクチュールの規範から大量生産

マ-ケティングへ拡大し ファッションを産業へと導き

フランス経済の発展へと貢献した


1960年代以降 フランスのファッション産業は

次第にロンドン ニュ-ヨ-ク ミラノ

などの競争におびやかされるが

依然として多くの 外国のデザイナー達が

フランスでキャリアを積むべく模索している


ドイツ人のカ-ル・ラガーフェルドが CHANEL

イギリスのガリア-ノが DIOR

スウェーデンのアンダーソンが CHLOE

アメリカのマ-クが VUITON

イギリスのマックイ-ンが GIVENCY

それぞれ キャリアを築いた

70 80年代 C.MONTANAと言えば

バル-ンシルエットの服で 一世を風靡

MUGRAY SONIA などと共に

フランスのみならずファッション業界でナンバーワンと

言われる地位を確立していた


この時 自分にとっても 最高に憧れの存在で

プレタ期間中 何度か ショ-を見たが 凄い

ただ 会社に通えるだけで 夢のようだった


しかし

労働許可証がないため

長くは 居られなかった


さあ どうする





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