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執筆者の写真RYUZO NAKATA

RYUZO NAKATA HISTOIRE-3

更新日:2020年11月29日

さあ

片道の航空券で これから、夢の"PARIS" に

兄貴が CANONのカメラをお土産に持って

成田空港まで 見送りに来てくれた

なんだか 恥ずかしい感じでの 別れ


空港でも問題無く 無事に 飛行機に乗り 出発 パリに!

が、飛び立ち 間もなくして

機内アナウンスが

機材故障で ソウルで止まると

パリのアントニオに 到着日を 伝えてあるが

変更の連絡のしようが無い

まぁ 仕方ない

で、その晩は、ソウルのシ-ラホテル(大谷ホテルと姉妹)に、それぞれ部屋鍵を頂き、遅めの夕食

翌昼は、航空会社が、韓国焼き肉に連れて行ってくれた

本当に美味しかったな

なんだか 観光気分

その晩 ソウルからパリに、だが、何故か?

南回りに変更になった

何時間かかったのか 長かったな


その翌日、パリのORLY空港に 到着

入国のハンコも 押してくれなかった

でも パリだ!

荷物を待っていても 出て来ない

もう 誰も居ない

最後に居た人に 鞄が出て来ないと聞いてみたら

その人が 空港の人に 聞いてくれて

鞄は、ソウルにある と

彼は、パリ在住だったんだろうな

フランス語 ペラペラだった

荷物は、明日 住所に 届けられるそうだよ、と まぁ よかった

そんなかんだ していると

その人(男の人)が 何処まで行くの と聞いてくれた

では、一緒に と TAXIで シャンゼリゼ通りの裏の

アントニオさんの家迄 送ってくれた

なんて 親切なのだろう

不安だった自分が 見えたんだろうな

有難い

住所に着いた が どうやって 入るんだ?

うろうろ

中から、出てくる人がいて

入る事が出来た

階段を上って ピンポン

戸が開いて 初対面

何を 言っているのか 全く 解らない

フランス語の 参考書を 出して 指を指す


イタリア人、ANTONELLO ファミリー


その後 アントニオ家の 屋根裏部屋に案内された

パリ生活の始まりだ


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