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  • 執筆者の写真RYUZO NAKATA

RYUZO NAKATA HISTOIRE-2

さて、東京に引っ越し

従兄弟がいたので、彼の住んでいる下北沢のアパートの近所の病院内の敷地の家を借りられた



下北沢で 通っていたPUB


あこがれの、専門学校が始まる



こんな奴ら ばっかりこんな奴ら ばっかり

こんな奴らばっかり




ギャ


学長は、西武デパートの紳士服オーダー部門の顧問デザイナー

青山一丁目の学校は小さいけど、隣に校長のアトリエがあり、

目の辺りにしながらの授業

初日から、針を持ち、縫い方から

パターン、別の講師が来てデザインを




アトリエで一度、豹のオーダーが入り、コートを創っていた

顧客さんのものらしい

凄い人が居るんだ、と、思った

三島由紀夫の``たての会``の、真っ白のコスチュームも創っていたし

いろんなものを見れて楽しかったな


学校の隣のビルには、ジュンアシダがあり、一度、見学に行ったな

SHOPは豪華でビックリした

その後、似た様なオーダー制のお店に行き、アルバイトをしたい、と

でも、あっさり、断られたが、一週間だけ



学校も、半年が過ぎ、仲間達も、夜のアルバイトを開始

仲が良かった、北海道出身の奴が、赤坂のクラブに

僕は、新宿の三愛の地下3Fにあったクラブ、不死鳥に




シャツを 着て


バイト代も良かった

小振りの丸いテーブルが40

契約女性が、なんと、140人

初日、ホールボーイの仕事が始まる

女の子達が、ライターをつけて、ボーイを呼ぶ

私が、こうやったら、貴方が来てね、と、チップを渡される

初日、これだけで、50万

なんだか、ニコニコ

お店は、銀座システムで、23h45で、御会計が終わり、

ホールが明るくなり終わり

1ヶ月ぐらい経つと、23h50に、事務所のTELが鳴り、中田、と、呼ばれ

女の子からの、お誘いだ

食事に付き合わせられ、また、飲みに

おかげさまで、若くから、夜の街を勉強出来たが

毎日、日が出てからの、帰宅

学校は、毎日、遅れづに行き

宿題で創った服は、女の子達が買ってくれる様になったし

オーダーも、時々、頂いて、学校も、大忙し


週末は、当時、イッセイミヤケが好きで、良く行っていた

フロムファーストのお店には、みどりさんという

超ー素敵な女性が居た

会いたくて行ってた様なものだ

山本寛斎のパーティーで、山口小夜子さんと会って

空気に驚いたり





あと半年で、学校も終わり、と、思っていた時

学長が、卒業したら、パリに行きたいか、と

即答で、はい、と

渋谷のフランス語学校に、行き出したが

まるで、チンプンカンプン


お店にも、そろそろ辞めたい事を伝えたら

いや、短時間な場所があるから、と

トイレボーイを2ヶ月間する事に

男性用には満タンの氷、化粧品からドライヤー

健康ドリンクにお店のお皿

これまた、チップ三昧

女性のお客さんが来ると、もっと凄い


ある週末に、真っ赤なオープンカーで、

真っ赤な薔薇のブーケを持って来て

病院内の敷地の車、駄目です、と、大家さんに怒られた事も


別では、ハーレー買ってあげる、とか

いえいえ、もう、パリに行くので、と、御断りし


さて、卒業間近

校長が、未だ、行く気があるか、と

勿論です、と

それなら、パリに住んでいる、アントニオを紹介するからと

親父とマミーに、パリに行く事を伝えた

兄貴は、大学に行ったから、その分、まとめてください

その後、催促しないから、と



親父は なにか ものになるまで 帰って来るな、と





オ カッコイイ


英語もフランス語も解らないのに

卒業を待たずに、夢だけを抱いてパリに




マミ-と


行って来ます

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